文献からたどる刺し子

刺し子ジャーナル

刺し子は、いつ、どこで始まったのでしょう。

なぜ人は布を刺したのか。
なぜ、傷んだ衣服を何度も直して使ったのか。
寒い土地と暖かい土地では、着るものはどう違ったのか。
針を持っていたのは、誰だったのか。
刺し子について調べ始めると、刺し子だけを見ていても分からないことが、次々と出てきました。

布のこと。衣服のこと。木綿や麻のこと。仕事のこと。女性や子どものこと。その土地の気候や暮らしのこと。

刺し子を知ろうと思ったら、その技法や文様だけではなく、その時代の歴史的背景や、そこで暮らしていた人たちの営みまで知らなければ、本当の意味では語れないのではないか。

そう感じたことが、この「刺し子ジャーナル」を始めた大きなきっかけです。

私自身が、もっと知りたかった

私はcanohaで刺し子を教えています。

刺し方や文様をお伝えすることはできます。でも、教える立場になればなるほど、「そもそも、なぜ人は布を刺してきたのだろう」「なぜこの土地にこのような刺し方が残ったのだろう」と、その背景が気になるようになりました。
刺し子を教えているのなら、ここは避けて通れない。
そんな思いが少しずつ強くなっていきました。
そして私は日本人です。
日本で育まれてきた刺し子を、日本人である私自身が古い資料を読みながら辿ってみることにも、何か意味があるのではないかと思っています。

もちろん、日本人だから分かる、と言いたいわけではありません。むしろ、当たり前だと思って見過ごしてきたことや、日本にいるからこそ気づいていなかったことも、たくさんあります。

だからこそ、改めて資料に戻る。
自分の思い込みだけで語るのではなく、昔の人が残した記録や、これまで研究してきた方々の仕事を読みながら、自分なりに一つずつ確かめてみたいと思いました。

そもそも、この調査を始めた一番の理由は、とても単純です。
私が知りたかったから。
最初は、それだけでした。
でも調べていくうちに、「これは私だけが知りたいことではないかもしれない」と思うようになりました。

刺し子をしている方。
昔の衣服や布が好きな方。
お繕いやBOROに興味がある方。
そして、「なぜ人はこんなにも布を大切に使ってきたのだろう」と感じる方。
同じように知りたいと思っている人が、きっといる。
それなら、調べたことを自分の中だけに置いておくのではなく、少しずつ共有していきたいと思いました。

まずは、このウェブサイトで。
そしてInstagramでも。
いつかある程度まとまったところで、小さな冊子のような形にもできたらいいなと思っています。

文献から、一つずつ辿ってみる

「刺し子ジャーナル|文献からたどる刺し子」は、古い文献や資料を読みながら、刺し子と、その背景にあった暮らしを少しずつ辿っていくシリーズです。
一つの資料だけを読んで、「昔はこうだった」と決めることはしません。
同じ日本でも、時代が違えば暮らしは違います。地域が違えば、手に入る布も違います。身分や仕事、家の経済状況によっても、着ていたものは違ったはずです。

資料に実際に書かれていること。
著者や研究者がそこから考察したこと。
複数の資料を重ねたうえでcanohaが考えたこと。

できるだけ、それぞれを分けながら読んでいきます。
文献だけでは確認できないことや、現代の動き、海外でのSashiko、BORO、Visible Mendingなどについては、博物館、大学、公的機関、学術論文など、信頼性を確認できるウェブ上の情報も調べながら補っています。
そして、これから調べる文献も少しずつ増やしていくつもりです。

一冊読むと、分かることが増えます。でも不思議なもので、それと同時に新しい疑問も増えていきます。

「あの資料も読んでみたい」
「この時代のことを、もう少し知りたい」
「これは誰かにも伝えたい」

読めば読むほど、知りたいことも、共有したいことも増えていきます。だから、この刺し子ジャーナルは、完成した答えを並べる場所ではありません。分からないことは、分からないままに。新しい資料が見つかれば、また考え直す。

そんなふうに、「昔、今、これから」の刺し子を少しずつ辿っていきたいと思っています。

第一弾|布をめぐる10の問い

最初のシリーズでは、「刺し子とは何か」をいきなり説明するのではなく、布と衣服をめぐる10の問いから始めました。
第1回|その布は、なぜ捨てられなかったのか。

布を一枚手に入れることが、今よりずっと大変だった時代。人々は、傷んだ布をなぜ何度も使い続けたのでしょう。

第1回を読む →

第2回|お繕いは、破れる前から始まっていた。

穴が開いてから直す。それがお繕いだと思っていました。ところが1927年の裁縫技術書を読むと、布が薄くなった段階から手を入れる方法が記されています。

第2回を読む →

第3回|着られなくなった服は、次に何になったのか。

一着の服は、着られなくなったら終わりだったのでしょうか。ほどき、仕立て直し、別の衣服へ。さらに寝具や生活用品へ。布の「その後」を辿ります。

第3回を読む →

第4回|針を持っていたのは、誰だったのか。

衣服を縫い、繕い、布を使い回す。その仕事をしていたのは誰だったのでしょう。家庭の中の仕事、女性の仕事、子どもの仕事から考えます。

第4回を読む →

第5回|寒い土地では、布をどう重ねたのか。

布を重ねることには、補強だけではなく、寒さから身を守るという役割もありました。雪国に残された衣服から、布を重ねる理由を見ていきます。

第5回を読む →

第6回|同じ日本でも、着られるものは同じではなかった。

木綿が広がったからといって、全国の人が同じように木綿を着られたわけではありません。土地によって違った素材、流通、暮らしを辿ります。

第6回を読む →

第7回|私たちは何を刺し子と呼んでいるのか

「刺し子」という名称がいつ生まれたのかと、人が布を刺し、重ね、補強してきた歴史は同じなのでしょうか。名前と技術を分けて考えてみます。

第7回を読む →

第8回|繕うだけなら、文様はいらないはずだった。

補強するだけなら、まっすぐ縫えば十分なはずです。それなのに、なぜ布には文様が刺されるようになったのでしょう。

第8回を読む →

第9回|服は、いつから「直すもの」ではなく「買うもの」になったのか。

かつては繕いながら着ていた衣服が、いつしか傷んだら買い替えるものになりました。その間に、私たちの衣生活には何が起きたのでしょう。

第9回を読む →

第10回|そして今、なぜ私たちはまた刺しているのか。

布が足りないわけではない今、Visible Mendingやお繕いが再び注目されています。そこには、昔とは違う「直す理由」があるようです。

第10回を読む →

調査に使用している資料

このシリーズで調査に使用している主な文献は、参考文献一覧にまとめています。

参考文献一覧を見る →

このシリーズは、ここで終わりではありません。

これからも資料を読み、疑問が生まれれば調べ、分かったことが増えれば、またここで共有していきます。