刺し子ジャーナル|文献からたどる刺し子
第一弾|布をめぐる10の問い

第3回|着られなくなった服は、次に何になったのか。

前回は、お繕いは「破れてから」始まるとは限らない、という話をしました。布が薄くなってきたら、破れる前に当て布をする。傷みやすいところには、あらかじめ補強をしておく。そうやって手を入れながら、一着の衣服をできるだけ長く着る。

では、それでもいよいよ着られなくなったら、その服はそこで終わりだったのでしょうか。

古い資料を読んでいると、どうもそうではなかったようです。晴着だったものが仕事着になる。着物をほどいて、別の衣服に仕立て直す。子どもの着物が蒲団になる。古い衣服を細く裂いて、もう一度布に織り直す。
一着の服は、最初に作られた姿のまま、一生を終えるとは限りませんでした。

着られなくなったところから、次の役目が始まる。

今回は、そんな布の行方を追いかけてみたいと思います。

晴着が、仕事着になる

まず、分かりやすい例があります。
田中忠三郎氏の『図説 みちのくの古布の世界』には、こぎんの衣服について、新しいものは晴着として着て、古くなると筒袖に直し、作業着として使った例が紹介されています。
最初は晴着として着る。それが古くなれば、仕事のときに着る衣服へ変わっていく。ここで興味深いのは、「古くなったから捨てる」のではなく、「古くなったから、着る場面を変える」ということです。
もちろん、昔の衣服がいつも「晴着→ふだん着→仕事着」という同じ順番をたどったわけではありません。地域によっても、家によっても違います。衣服の種類や、その家で必要とされていたものによっても違ったでしょう。

ここで見ておきたいのは、一着の衣服の役割が、ずっと同じだったとは限らないということです。新しいうちは晴れの日に着る。少し古くなれば日常に着る。さらに古くなれば仕事に着る。そうやって、同じ衣服でも着る場面が変わることがありました。

柳田國男氏の『服裝語彙分類案』にも、晴着、ふだん着、仕事着という分け方が出てきます。ただ、柳田氏が見ようとしていたのは、単に昔の衣服を種類ごとに分類することだけではなかったようです。
仕事着がどう変わったのか。晴着とふだん着は、どこで分かれていたのか。そうした違いを追うことで、人々の暮らし方や働き方の変化まで、衣服から辿ろうとしていました。つまり、服の形や名前だけではなく、「その衣服が、暮らしの中でどんな役割を持っていたのか」を見るということです。

柳田氏は、身支度が簡略化していく変化について述べる中で、襷が晴着の側から仕事用へ移っていったとも書いています。襷そのものは衣服ではありませんが、晴れの場で使われていたものが、やがて仕事の身支度として使われるようになる。ここにも役割の変化があります。
暮らし方が変われば、衣服の使い方も変わる。働き方が変われば、仕事着も変わる。そして同じ衣服でも、古くなれば、それまでとは違う場面で使われることがある。

衣服の役割は、思っていたよりずっと動いていたのかもしれません。

服の形をほどいて、また使う

ここまで見てきたのは、衣服が「服の形のまま」役割を変える例です。晴着だったものを仕事着にする。着る場面を変えながら、同じ衣服を使い続ける。

では、その形のままではもう着られなくなったときは、どうしたのでしょう。

ここから少し視野を広げて、仕事着だけではなく、着物や羽織など和服そのものを見てみます。そこで出てくるのが、「ほどいて使う」という方法です。
一着の衣服としては使えなくなっても、縫い目をほどけば、まだ使える布が残ります。「この服はもう着られない」で終わるのではなく、「この布なら、次は何に使えるだろう」と考えることができるわけです。

1927年に出版された川島裁縫女學校編『現代和洋裁縫全書―初歩から奥儀まで』には、古着材料から羽織を仕立てる場合についての説明があります。
ここで面白いのは、新しい反物から仕立てるときと同じようには考えていないところです。すでにある古い布には、長さや大きさに限りがあります。そこで、残っている布に合わせて衿に必要な長さを考え、そのうえで裁っていきます。つまり、「羽織を作るから必要な布を用意する」のではなく、「いま手元にある布から、何が作れるかを考える」のです。
服として見れば「もう着られない」。でも、ほどいて布として見れば「まだ使える」。一着の衣服をほどくことで、完成した服がもう一度材料に戻り、そこから別の一着が始まることもあったのです。

最近では「着物をリメイク」といった手芸本も多く見かけるようになりました。着物をほどいて、ワンピースやスカート、バッグなど、別のものへ作り替える。「着物としてはもう着ないけれど、この布はまだ使いたい」と、着物をもう一度生かす方法として親しまれています。
もちろん、現代の「リメイク」と、昔の仕立て直しでは背景も目的も同じではありません。今なら、気に入った柄を残したい、思い出の着物を別の形で持っていたい、新しいデザインとして楽しみたい、といった理由もあるでしょう。
一方、昔の資料に出てくる仕立て直しは、もっと日々の衣生活そのものに近いところにあります。一着の服としては使いにくくなっても、ほどけばまだ布として使える。そこで残っている布の長さや傷み具合を見ながら、次に作れるものを考える。

現代の着物リメイクと理由は違っても、一度できあがった衣服を「完成したままの一着」としてだけ見るのではなく、必要ならほどき、もう一度使える材料として考えるというところには、つながるものがあります。

服ではなくなっても、布は終わらない

さらに資料を読んでいくと、布の行き先は衣服だけではありません。福井貞子氏の『染織の文化史―木綿と藍―』には、子どもの着物をほどき、寄せ集めて蒲団や胴着にした例が紹介されています。着物だった布が、蒲団になる。衣服としての役目はいったん終わりますが、布としての役目は、まだ残っています。

反対方向の例もあります。同じ福井氏の資料には、蒲団に使われていた布を袖なしや胴服などへ回した例も整理されています。さらに、破布を裂織へ回す例もあります。
衣服から寝具へ。寝具から、また衣服へ。古布から、新しい布へ。
資料を追っていくと、布の行き先は一方向ではないことが分かります。
そのとき残っている布の大きさや傷み具合。その家で何が必要だったのか。寒い土地なのか、どんな仕事をしていたのか。そうした条件によって、次の使い道も変わっていたのでしょう。「この着物は何年着たのだろう」だけではなく、「着られなくなったあと、この布は何になったのだろう」と考えてみる。そうすると、一枚の布が暮らしの中で使われた時間が、もう少し長く見えてきます。

裂いて、もう一度「布」にする

そして、とても興味深い再利用があります。裂織(さきおり)です。
着古した布を細く裂き、それを緯糸として織り込み、もう一度別の布を作ります。

福井貞子氏の『木綿口伝』には、着古した木綿を裂き、帯や胴着、仕事着、雨着、山着、海着などへ再生した例が記録されています。もとの衣服の形はもうありません。細く裂かれ、もう一度織られ、別の布として使われます。
ここまでくると、仕立て直しとは少し違います。一枚の着物をほどいて、その布を裁ち直すのではなく、布そのものを細く裂き、それを新しい織物の材料にするのです。

裂織については、柳宗悦氏の『手仕事の日本』にも記述があります。柳氏は陸中の裂織について、古い衣を裂いて厚い布に織り直し、炬燵掛などに使っていたと記しています。また、七戸や八戸地方だけでなく、信濃などにも裂織が見られたと述べています。
福井氏が記録した例では、古い木綿から帯や胴着、仕事着など、再び身につけるものが作られています。一方、柳氏が紹介した例では、織り直された布が炬燵掛という暮らしの道具になっています。つまり、古い布を裂いてもう一度織るところまでは同じでも、その先に作られるものは一つではなかったのです。

そして、ここで刺し子との関係も少し考えてみたいと思います。
刺し子と裂織は、技法としては別のものです。刺し子は布に糸を刺したり、布を重ねて刺したりしながら補強する。裂織は、古い布を裂き、それを材料としてもう一度織ります。ただ、昔の暮らしの中で布を前にしたとき、「これは刺し子にする布」「これは裂織にする布」と、最初から技法の名前で分けていたとは限らないのではないでしょうか。

ここからはcanohaの考察になりますが、まず手元にある布があって、その布がどんな状態なのかを見る。まだ一枚の布として使えそうなら、当て布をしたり、重ねたり、刺したりして使い続ける。そのままでは使いにくくなった布なら、裂いて織り込む。あるいは、別の衣服や生活用品へ仕立て替える。
つまり、「いまある材料から、何ができるだろう」と考える中で、刺し子で補強することもあれば、裂織にすることもあったのでしょう。

もちろん、布の状態だけで決まるものでもありません。その地域で受け継がれていた技術や使える道具、気候、仕事、そして暮らしの中で何が必要とされていたのか。それによって、選ばれる方法も違ったはずです。
だから刺し子と裂織を同じ技法や同じ系譜として考えるのではなく、限られた布をどう使い続けるのかという暮らしの中に、それぞれ違う方法があったと考える方が、今のところ私にはしっくりきます。

布は、どこまで使われたのだろう

さらに福井氏の資料には、蒲団地(ふとんじ)を雑巾へ回した例もあります。
蒲団地とは、蒲団に使われていた布地のことです。ここでいうのは中に入っている綿ではなく、蒲団の外側を包んでいた布。蒲団として使われたあとも、その布をさらに別のものへ使っていたのです。その蒲団地を雑巾にし、さらに線や菱形に針を入れて、布を補強しながら使っていました。

この記述を読んで、私も小学生の頃のことを思い出しました。使い古したタオルを雑巾にして、授業が終わったあとの教室のお掃除に使っていました。何度も水で濡らし、絞り、床を拭いて、擦り切れて灰色になるまで使っていた記憶があります。

時代も布も違いますが、使い古したものをすぐに捨てず、もう一度別の役目に使う。そんなところには、昔と今でどこか共通するものがありますね。

資料の中では、着物だった布が別の衣服になったり、蒲団になったり、裂織になったり、そして雑巾になることもありました。でも、すべての布が同じ道をたどったわけではありません。ある布は仕事着へ、ある布は子どもの衣服へ、ある布は蒲団へ、ある布は裂織へ。残っている部分だけを小さく切り取り、別の用途に使った布もあったでしょう。

今回読んでいる資料は、時代も地域もそれぞれ違います。ですから、「昔の衣服は晴着から仕事着になり、蒲団になり、最後には雑巾になった」と、一つの決まった順番にすることはできません。むしろ資料を重ねていくと、布のその後は一つではなかったことですね。

まだ着られるなら、着る。形を変えれば使えそうなら、仕立て直す。小さくなった布にも、何か別の使い道を探す。そのときの布の状態や、暮らしの中で必要なものに合わせて、次の役目が生まれていったのでしょう。

同じ布を、同じ姿のまま使い続けたわけではない

第1回では、「その布は、なぜ捨てられなかったのか。」を考えました。
第2回では、破れてから直すだけではなく、破れる前から手を入れていたことを見てきました。
そして今回、その先まで布を追いかけてみると、長く使うということは、一着の服をずっと同じ姿のまま着続けることではなかったことが見えてきます。

布が貴重だったこともあるでしょう。新しいものを簡単に手に入れられなかったこともあるでしょう。でも、それだけではなく、手元にあるものを見て、次にどう使えるのかを考え、形を変えながら使い続ける知恵と技術が、暮らしの中にあった。そこが、とても重要なのではないかと思います。

そして、これを書いているうちに、ふと疑問に思うことがありました。着物をほどき、傷んだところを見極め、使える布を選び、別の衣服に縫い直す。あるいは裂織にする。そうした判断をし、実際に手を動かしていたのは、いったい誰だったのでしょう。家の女性だったのでしょうか。母から娘へ教えられたのでしょうか。男性は針を持たなかったのでしょうか。職人へ頼むこともあったのでしょうか。

次回は、「針を持っていたのは、誰だったのか。」
衣服を作り、直し、次の役割へつないだ人たちを、文献の中から探してみたいと思います。

刺し子ジャーナル|文献からたどる刺し子
第一弾|布をめぐる10の問い